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平成のオタクだった頃を振り返る

 ふと、振り返りたくなったので、振り返ってみる。
今回はキーワードで振り返ってみよう。

『U局』『U局アニメ』

 これ、もう20代前半ぐらいの人はほぼ知らないキーワードです。
現在の地上デジタル放送がはじまる2011年より前の地上アナログ放送は、VHF帯とUHF帯という2つの周波数帯で行われていました。
いわゆるキー局(NHK、日テレ、TBS、フジ、テレ朝、テレ東)以外の独立放送局は、ほぼUHF帯でした。
首都圏(1都3県)で言うと、TOKYO MX(東京都)、t.v.k(神奈川県)、テレ玉(埼玉県)、チバテレ(千葉県)が該当します。

 現在の地上デジタル放送と違い、地上アナログ放送のVHFとUHFでは、それぞれ周波数帯が違います。
このため、それぞれのアンテナを独立で立てる必要があります。
当然ですが、2つのアンテナを立てれば両方見られますが、その分の費用はかさみます。

 このため、特に集合住宅などの共聴アンテナは、キー局が見られるVHFアンテナしか立てられない傾向が多い状態でした。
私の家(賃貸集合住宅)も例にもれず、そのタイプでした。
ただ、2000年代の当時、どうしてもU局アニメが見たかった自分は、地上デジタル放送用として販売されていたパラボラアンテナを購入し、
ベランダに独立でパラボラアンテナを立てて
無理やりエアコンの配管でアンテナ線を引きずり込んで、見ていました。
(現在の地上デジタル放送はすべてUHF帯のため、それを逆手に取って、当時の地アナU局の視聴にも利用できた)

 週末は深夜3時ごろまでU局アニメを見て、昼前からアルバイトに行く。そんな生活を送っていました。
当然ですが、当時はビデオテープ(VHS)です。U局アニメは標準モードで…というかS-VHSを使っていました。
3倍モードとか…今の人はわからないかw

 自分の中の全盛期では、最大で100本ほど、標準モードで録画したS-VHSカセットがありました
思えばずいぶんと贅沢な使い方をしていたものです。

『A&G 超RADIO SHOW〜アニスパ!〜』(通称:アニスパ)

 2000年代の土曜21時~23時に文化放送で放送されていた番組です。
浅野真澄さんと鷲崎健さんのツッコミあいがとても面白かった。
正直、この2人の組み合わせだからこそ、できた番組でした。
毎週、楽しみにして、欠かさず聴いていた記憶があります。
 アニスパの次枠(23時~)は「こむちゃっとカウントダウン」(通称こむちゃ。23時~24時)となっており、
浅野さんと鷲崎さんが、こむちゃ向けにコメントしたりすることも多かったです。
 自分の中のアニオタ全盛期では、21時~24時まで通しで聴くのが毎週の楽しみでしたね。
まだ、当時は野球中継の延長があったので、22時~開始とかもありました。

 現在は「エジソン」という番組になっていますが、パーソナリティがコロコロ変わったり、番組のコンセプトがイマイチで、
個人的には「アニスパ」のほうが好きですね…。
もうアニオタやめちゃったので、寝る前のお供に聴くぐらいでしょうか。

『XBOX360』

 はいw 日本で不人気だったコンシューマーゲーム機です。
タイトルはあえて伏せますが、当時、XBOX360での独占タイトルのソフトがあり、それにハマっていたため、買って使っていました。
熱暴走しやすく、扱いには苦労したものです。
 自分のコンシューマーゲーム(据え置き)は、N64→ゲームキューブ→PS2→XBOX360の変遷なので、いわゆる「プレステ」は2までしかやってません。

『AIR』『リトルバスターズ!』(Key作品)

 自分は『リトルバスターズ!』→『AIR』と逆の順番でやりました。代表的な鍵作品ですね。
1年前ぐらいに、万札が新券に変わった際、Keyの公式Twitterが「さらば諭吉!」(リトバスの作品内で出てくるネタ)とやっていて吹きました。

『英雄伝説VI 空の軌跡』

 日本ファルコム社から出た、PC用のRPGゲームです。空の軌跡は3部作ですが、自分はすべて当時の初版でプレイしました。
もともとは、Webサイトのバナー広告で空を背景とした『空の軌跡』というタイトルに目が惹かれたのがキッカケです。
当時は推奨VRAMが32MBだったのですが、自分はVRAMが16MBのPCでなんとか無理やりプレイしました…(流石に1stだけ。2ndと3rdは買い替えました)

 今でもリメイクとか言われていて、「息が長いなぁ」と思います。
『軌跡シリーズ』と呼ばれ、空の軌跡のあとも続いているようなのですが、自分はタイトルに惹かれていたこともあり、空の軌跡3部作でプレイを終えました。

『ヤマギワソフトの火災騒動』『ミスド閉店』『牛丼専門サンボ』

 まだ建物はあった気がしますが、2000年代には、緑色の看板の「ヤマギワソフト」というお店があり、その名の通りPCソフトをメインに扱うところです。
そこが割と大きな火災にあったんですよね。
当時のITMediaの記事で、結構大きかったことがよくわかります。
ちなみに、ヤマギワソフトのビルの隅っこにはミスタードーナツがありました。
が、こちらもASCIIの記事によると、2024年に閉店してしまいました。。。

 秋葉原には2000年代は毎週末には行くぐらいでした。おでん缶の自販機とか流行りましたよね。
アキバオタクには有名な「牛丼専門サンボ」も行っていました。
2ch(現在の5ch)でよくネタにされており、ムッシュ(厨房で牛丼を黙々と作る)とマダム(ホール担当)で有名でした。
 『荷物は通路や空いているイスには置かずに、自分の足元に置く』『携帯電話(当時はガラケー)の使用は厳禁』『マダムが熱いお茶を出した瞬間に注文する』
守れなければマダムにつまみ出される、といった独特の雰囲気がありました。
ちなみに牛丼チェーンにありがちな「つゆだく」「ねぎだく」などと注文すると、「ウチはそういうのは、やっていません」とバッサリ断られます。

 ただ、2010年代にはいると、ムッシュが若い男性(ムッシュがいた時代からたまに厨房に居たので、恐らく息子さん)に変わります。
そのうち、ムッシュは一切見なくなりました。2015年ぐらいから、アルバイトを雇いだし、さらに券売機を導入して、マダムもあまり見かけなくなりました。
(券売機があった場所は、もともとマダムが14時ぐらいにお昼ご飯を食べる用の1名席でした)

 サンボにはもうだいぶ行っていないなぁ…。今どうなっているんだろうか。


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